PROJECT
広島県江田島市。
瀬戸内海に浮かぶこの島で、
日本最大級のレモン農園をつくる
プロジェクトが動き出した。
海と空、
そして人に惚れ込んで選んだ、
最高のロケーション。
始まったばかりのこのプロジェクトを、
一緒に作りあげる未来のリーダーを探しています。
PROJECT STORY
「この島ならいける」
鈴生の鈴木社長が、はじめてこの島に降り立ったとき、そう感じた。
社内初の果樹栽培にレモンで挑戦しようとしていた鈴生は、栽培に最適な環境を探していた。
そんなときに紹介されたのが、江田島だった。
何より景色が最高だった。この島には、人を巻き込む力があると感じました。
── 鈴木社長
鈴木社長が心を掴まれた、江田島の風景
穏やかな海と温暖な気候に恵まれたこの島には、かつてみかん農園が広がっていた。
果樹栽培に必要な条件はすべて揃っている。
ただ、後継ぎの不在によって、その畑は静かに眠りについていた。
景色に心を掴まれた社長は、この島の「人」にもまた心を掴まれた。
鈴生には「おいしさを求めて」という経営理念がある。
「おいしい」の基準は人それぞれ違う。
だからこそ鈴生は、種まきからお客さんに届くまで一切手を抜かないことを、自分たちの「おいしい」の定義にしてきた。
作物と向き合い、手を抜かず、自信を持って「これを食べてください」と言えるものだけを届ける。それが鈴生のものづくりだ。
江田島市にも、同じ覚悟を感じた。この島の未来と向き合い続けると決めた人たちがいた。
作物に手を抜かない鈴生と、島の未来に手を抜かない江田島市。
レモンアイランドプロジェクトは、この出会いから動き出した。
プロジェクトの始まりを支えた人たち
数ある果樹の中でレモンを選んだ理由を尋ねた。
うちはずっと野菜の会社で、果樹栽培は鈴生にとってこれが初めての挑戦です。僕も含めてノウハウはゼロ。そこから色々調べて、一番可能性を感じたのがレモンだった。
── 鈴木社長レモンは、ブドウのように熟練の技術で味が大きく左右されるシビアさが少ない。未経験のチームが挑戦するなら、最も現実的な選択肢だった。
全員がゼロからのスタート。けれど、一人で始めたわけじゃない。広島県や江田島市、JAの指導員、そして地域の人たち。この挑戦を支えてくれる人たちが、江田島にはいる。
瀬戸内海を臨む江田島市沖見町のレモン畑
僕たちもゼロからのスタートだから、次に加わってくれる仲間にも、経験は求めていません。
分からないことを楽しんで、一歩ずつ進んでいく喜びを分かち合える仲間を求めています。
果樹には、野菜にはない時間の壁がある。
果樹は新しい苗木を植えてから収穫できるまで、野菜よりも圧倒的に時間がかかるんです。収穫まで何年もかかるとなると、高齢の農家さんはもう一回植え直そうとはなかなか思えない。だから果樹園がどんどん減っていく。でも、組織として農業をやっている私たちなら、その時間を耐えられる。そこに私たちがやる意味があると思っています。
── 鈴木社長目標とする25ヘクタールまで拡大するには、数億円の資金を眠らせる覚悟がいる。簡単に踏み込める挑戦ではない。しかしこの挑戦は、江田島の遊休農地を再生させるだけでなく、日本の果樹農業が抱える課題そのものに向き合うことでもある。
現在、江田島の圃場は5ヘクタール。東京ドーム約1個分の広さだ。これだけで既に、一経営体としては日本最大級のレモン農園になっている。2030年には、その5倍の25ヘクタールを目指す。
日本一のレモンで、島を興す。一緒に日本一をつくりましょう。
── 鈴木社長WANTED
鈴生は、
育つ手助けをする会社です。
このプロジェクトは、鈴生にとっても、この島にとっても挑戦だ。
江田島の農地にレモンを根づかせる。
私たちにとっても、地域にとっても、初めてのことばかりだ。
レモンを真ん中に、みんなが挑戦している。
私たちが求めているのは、その輪の中に自分から飛び込む勇気を持ち、ともに挑戦し続ける根気を持つ人です。
農業は、常に地域と共にある仕事だ。
県や市、JAの指導員、そして地域の人たち。
たくさんの力を借りなければ、この挑戦は成し遂げられない。
ただし、待っていても誰も来てくれない。
自分から飛び込んでいける大胆さ、地域の文化を共に大切にできる共生力、そして小さな接点を積み重ねていける粘り強さ。
つながりを作り、ともに育っていける仲間を求めています。
鈴生には「自分が幸せになるために会社を使え」という考え方がある。
自分の人生をどうつくるかは、自分で決めること。会社の役目はそのための場を用意することだと考えています。
私たちが求めているのは、すべてを上手くこなす器用な人ではない。失敗しながらでも、自分で考え、自分から動き、壁にぶつかっても立ち止まらない人だ。不格好でもいい。人生を自らの手で切り拓く意思があるなら、鈴生は最高の舞台になることを約束します。
INTERVIEW
INTERVIEW
鈴木 貴博
株式会社鈴生 代表取締役社長
大学卒業後2年間の研修に行き、親元就農に戻った25歳で事業承継を受け、32歳で播種前から全量を契約栽培とする「オーダーメイド野菜」を生産・販売する株式会社鈴生を立ち上げる。5年で年商1億円を突破し、現在は年商14億円に。その後、農業に参入を希望する企業との合弁等により、露地野菜部門だけでなく物流・太陽光型植物工場・就労継続支援B型事業所で農副連携を行う7つのグループ会社を設立して、農業分野の多角化経営を展開。2024年11月末にグループ3社の代表を後継者に引継ぎ、各社の取締役相談役として伴走支援を続けている。2025年9月には、ポッカサッポロフード&ビバレッジ、西本Wismettacホールディングス、そしてレモン農園を新たに設立した。
25歳、両親から引き継いだ当時の鈴木農園は、両親が営む小さな農家だった。若い鈴木青年の頭にあったのは、とにかく結果を出すこと。人より高く売りたい。人よりいいものを作りたい。人よりたくさん採りたい。
その欲望を、まっすぐに野菜に注ぎ込んだ。しかし、欲を入れれば入れるほど、野菜はうまくいかなかった。このままでは、農業を続けていけないというところまできていた。
お前、野菜作ろうと思ってんだろ。野菜って作るんじゃないんだよ。自分で育ってるんだから、農家は育つ手助けをすることが仕事だよ。
— 鈴木社長の恩師農業を辞める決断をするか否かの瀬戸際で出会った恩師のその一言で、鈴木社長の仕事への向き合い方は一変した。
それまで私は野菜を見ずに、自分の欲だけで行動していた。私たちの仕事は、野菜の声を聞き、彼らの手助けをすることだと、この時にやっと気が付きました。
— 鈴木社長
「美味しさを求めて」を理念に掲げる鈴生の圃場
野菜との向き合い方を変え、会社は成長していった。ところが、右腕左腕のような存在が5人、一気に辞めることになった。みんな「独立します」と去っていった。二度目の危機だった。
事業は伸びていた。けれど、社員一人ひとりと向き合うことが、追いついていなかった。
そうだ、野菜と同じことをやればいいんじゃないか。
— 鈴木社長野菜に寄り添ったように、人にも寄り添えばいい。社員がやりたいことを応援する。その人の中にある可能性を信じて、育つ手助けをする。野菜で学んだ哲学を、そのまま経営に持ち込んだ。
鈴木農園の時代からともに歩んできた仲間の一人で、今は役員として活躍している啓さんは、鈴生での日々を振り返って、こんなことを語ってくれた。
入社した時、こんな風になるなんて思っていませんでした。入社したときは、会長の自宅の仏間で会議をしてたんです。そこからみるみるうちに会社が急拡大して、今は立派な設備もある。
正直、社長に巻き込まれた部分も大きい。どうしたら役に立てるのか、必死にくらいついてやってきました。そうしているうちに会社がどんどん大きくなって、今、自分ひとりじゃ絶対に見られない景色を見させてもらってるなぁ、って思います。
- 啓さん(通称:エアーK)「どうしたら役に立てるのか」。 命じられたわけではない。気づけば、自分で考えていた。
鈴生という会社には、人が自ら育ち始める土壌がある。
育つ手助けをする。その姿勢を貫いてきた。
続けていくうちに、人が育ちやすい環境が少しずつ整ってきた。
成長したいという想いを持つ人たちが、集まるようになった。
人が増えれば、挑戦の幅も広がる。
このプロジェクトは、そんな鈴生の新たな挑戦だ。
この会社を使って挑戦し、成長したいあなたの育つ手助けをする準備は、もうできている。
「育つ手助けをする」。それが鈴生の経営哲学
INTERVIEW
株式会社鈴生 江田島レモン圃場 現場担当
竹下さん
江田島レモン圃場 現場担当。百貨店、お茶の営業職を経て、52歳で農業に転身。鈴生に20年勤務。現在72歳。
竹下さんが鈴生に入ったのは、20年前のことだ。まだ「株式会社鈴生」ではなく「鈴木農園」だった頃。
52歳。営業一筋だった竹下さんは、農業の世界に飛び込んだ。
決め手は、社長のお父さんとお母さんでした。温かくて、飾らない人たち。この人たちのそばで働きたいと思いました。
── 竹下さん
それから十数年の日々について尋ねると、竹下さんは笑いながら答えた。
社長にはいつも言われてたんです。「とりあえず"はい"って言え。できるかどうかは帰り道で考えろ」って。
── 竹下さん2020年のある夜、社長から食事に誘われた。お寿司屋を出た後、連れていかれたお店のクーラーの中にはシャンパンが用意されていた。
「今度広島で新しい事業を始める。行ってくれないか。」
竹下さんの答えは、もちろん「はい」だった。
家に帰ってから思いました。ああ、あのシャンパンでやられたのかって。
── 竹下さん
最初に入ったのは、広島県安芸高田市高宮町。島根県との県境にある中山間地だ。冬には積雪60センチ。半年近く畑に入れない。
レタスから始めたが、冬場はまるで作れない。ニンニク、茄子、いろいろ試した。どれも合わなかったが、青ネギに目をつけ、通年栽培の道をようやく切り拓いた。3年がかりだった。
作物だけではない。地元のイベントに顔を出し、地主さんたちと関係を築き、「鈴生ってこういう会社なんです」と自分の足で伝えて回った。高宮では「来てくれてありがとう」と言ってもらえるようになった。
2024年10月、竹下さんは江田島に移った。今度はレモン。果樹の経験はゼロだった。
県や市、JAの指導員に教わり、瀬戸田のレモン農家から現場の知恵をもらった。わからないことは、聞きに行く。それは高宮でも江田島でも変わらない。
江田島の魅力はと聞くと、「帰り道の夕日が、ぼーっとしてしまうほど綺麗です。」と教えてくれた。
農業の魅力は何ですか。そう聞くと、竹下さんの言葉はシンプルだった。
作物は嘘をつかない。私が頑張ると野菜も頑張ってくれるし、サボればそれなりの答えが出てくる。あと、つべこべを言わないっていうのが一番いいです。
── 竹下さん「これ、たぶん言葉を話せたら、"お前何サボってんだよ、じいさん何しとんねん"って言いそうじゃないですか。でも作物は、結果だけで出してくれるんで。つべこべ言わずにね。」
営業の世界で人と向き合い続けてきた竹下さんだからこそ、作物の正直さが身に染みるのだと思う。
一人で働くのは寂しくないですか。そう聞くと、「寂しいです」とあっさり返ってきた。
年齢も年齢ですので、「まあいいか」っていうのは増えましたね。これはもうバトンタッチの時期なのかなと感じています。
── 竹下さん印象的だったのは、この言葉が社長のいる場で自然に出てきたことだ。自分の弱さを上司の前で正直に言える。それを聞いた社長もとがめない。この会社に良い人材が集まる理由は、ここにあるのかもしれない。
竹下さんは今年72歳になる。鈴生を誰よりも愛してきたレジェンドが、卒業の日を迎えようとしている。
竹下さんが踏み出した一歩目は、もう刻まれている。次に必要なのは、その一歩を十歩に、百歩にしていく仲間だ。
自分で考えて、自分で動いて、自分でつくっていける。それがこの仕事、この会社の一番の魅力だと思います。
── 竹下さんISLAND LIFE
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INFORMATION
江田島市は移住者の受け入れに積極的な自治体です。自治体の充実した支援制度と私たちのサポートで、新生活の不安を解消します。
| 雇用形態 | 正社員 |
| 月給 | 242,437円〜350,000円 9時間ベース・休憩1.5時間含む |
| 勤務地 | 広島県江田島市沖美町 |
| 雇用元 | 株式会社鈴生 |
| 昇給 | 年2回 年齢給制度あり(19歳:+1,000円〜33歳以上:+20,000円) |
| 賞与 | 年2回 昨年度実績 最高70万円 |
| 評価制度 | 入社半年後から適用 年齢給・スキル手当・管理者手当 |
| 住宅手当 | 月額 15,000円(社内規定あり) |
| 社員寮 | あり |
| 制服 | 貸与あり |
| 研修 | あり(研修費用は会社負担) |
| 資格取得支援 | 費用全額会社負担 中型免許・準中型免許・フォークリフトなど 取得のための講習も労働時間として換算 |
| 慶弔見舞金 | あり |
| 退職金制度 | あり |
| 独立支援 | 制度あり(実績20名以上) 販路・土地・資材連携などをサポート |
社会保険完備(雇用保険・労災保険・健康保険・厚生年金保険)
農業未経験でも大歓迎。さまざまな業界の経験が、この仕事に活きます。